賞状とおたくクン

小学生四年生くらいの頃、保護者との交流イベントでスポーツか何かをやった後優勝チームに賞状を作って渡す係を任されたことがある。(小学生のときこういう役回りしてるやつはだいたいおたくクンになるんじゃないかしらというありがちでネトネトした偏見があるんだけど実際どうなんだろうな)

もう記憶が完全に薄れてて何をやったのかも賞状にどんなことを書いたのかも覚えてないが、ただ一つ記憶に残ってるのが賞状に冠された賞の名を「〜で賞」にしようと思い、同じ役割を任された数人と一緒に〜の中身を何にするか考えていたらそのうちの1人のKくんという少年が猛烈に反対したことだ。

このKくんというやつがわりと曲者で、高学年にもなって些細なことで大声を出して泣くわ好き嫌いはものすごいわ、そのくせへんな暴力性はあるわでおそらく先生も手を焼いていたのだろうと思う。

そしてやっかいなことに僕は彼と低学年の頃に変に仲が良かったこともあり、半ば世話役のようなことをしていたしそれが別に嫌でもなかった。(小学生のときこういう役回りしてるやつはだいたい性格がひん曲がるんじゃないかしらという嫌な偏見もあるんだけど実際どうなんだろうな)

Kくんは先の賞状の内容を考える段までは協力的だったものの、「〜で賞」が登場するや否や徐々に号泣への対数曲線を駆け上り、気づけば手がつけられなくなっていた。何が気に入らないのか聞いてもとにかく嫌だとしか言わなかった。

しかし彼1人のためにみんなで考えた賞の題目を変えようとはならなかったし、なにより賞状授与の刻は迫っていた。小学四年生はそこまで大人でもないし、時間が逼迫する感覚を前に平生でいられるほど心も強くない。

そして喚くKくんを尻目に急いで優勝チームに賞状を渡そうと立ち上がって歩こうとした時に

事は起こる。今日僕が筆(スマートフォンで書いてるからこの場合親指か?)を執ったのはこの光景をふと思い出したためである。

Kくんはこちらに向けて駆け、親指に塗った唾液で以って「で」を擦って消したのだ。

もう何もわからなかった。なぜさっきまで両腕両足で地を叩きつけていたその直後にそんなに早く動けたのか。なぜそこまでして「で」を嫌うのか。なぜ唾でもって消せると思ったのか。これらの原初的な疑問は、K君の圧倒的な情動と行動の前にはただの雑念でしかなかった。

ここまで彼を動かしたのは何だったのだろう。

彼の中の自意識が「で」をダッセ〜物として断じ、それを自分が属する賞状作成チームの作品として供されるのがたまらなく嫌だとしてもかような動物的な行動をするに至るだろうか。

このことをふと思い出し、生理的嫌悪と自意識は意外と心の変なところで繋がりうるのかもしれないなと思う。自意識が強いたちの人間は特に。

結局、「穢れ」の概念をもってすればその勲章としての聖性が個人の唾液とそれにより薄く広げられた黒鉛、唾液を潤滑剤とした指との摩擦によって生成されたボール紙のカスの3つにより地に落ちた賞状は、嫌がる顔を懸命に隠そうとする優勝チームの保護者により受け取られた。

K君はとくに満足そうにするでもなく、泣きながらこれでいい、と言っていた。

余談だが数年後浪人をしていた予備校でK君と思わぬ再開を果たすことになる。小学校の時賞状を作り世話焼きをやっていた僕は隠れおたくクンだったし、小学校の時すでに強すぎる自意識を持っていた彼もやっぱりおたくクンになっていた。

言語は心と異なるという言説は真理だと思うんだけど、たしかに我々は言語で持って心を表象しながら生きてきたし、きっとこれからもそうする。

ただ心から切り離された言語によって、「これがわたしの心ですよ」と他者に提示するのに相応の抵抗を抱く人はたしかにいて、その抵抗の度合いによって自分の心を他者に提示できる人とそうでない人というものは区切られてくるんだろうな。

ここにおける1番の悪(というと言葉が強いか)は、言語をマスやすでにあるものから借りてくることによって自分の心をマスに仮託し、表象することをサボっている人たちだと思う。

あまつさえマスが心を動かされている、つまりブームになっているものに対してほんとうに興味を抱くのではなく、マスに帰属したいという気持ち「流行ってるから見る、はい気に入りました」というような短いインターバルでもってブームへの好意の表明と帰属を示し、マスが話す言葉でマスの好きなもののことを話すような動きは断じられて然れと思う。

 

何が言いたいかというと僕ヤバやチェンソーマンの感想を天才とか地獄とかそんな味の濃い言葉だけでいうブームがあんまり好きじゃないってことサ

楽家になりてえ~ミュージシャンになりてえ~好きな音楽やりてえ~

と、こないだ行ったライブを見て思いました。

できないんですけど(笑)というか一番の原因は自分がやれるだけの環境はそろっているはずなのにやろうとしない態度な積悪の持ち主だからと思います

俯瞰病をさっさと直したいンゴねえ

青年と走る鉄塊は交差して

虚無という言葉で片づけるにはあまりに軽すぎる孤独です。

恋人もいるし家族との仲も僕が一方的に変な思いを抱いているだけで悪くはありません。

昔の僕が今の僕を見たら何を甘ったれたことを言ってるんだとののしると思います。

まあ甘ったれは生来のものなのでかつての僕も何も言えないと思うんですけど。

きっと二つに一つです。僕が今抱えてる悲しさが本物で、浪人も終えて恋人もいて、そんな中にあってもまだ血のしみのごとく消えないものだったのか。あるいは孤独なふりをしてそんな自分に酔ってる、一番たちの悪いやつか。

そんなことを考えることもできません。小さなころは本もたくさん読んだしお話もたくさん見ました。絵をたくさん描きました。自分で物語を考えたり、音楽を作ってみたりしようとしたこともあります。中学、浪人なんかは特に顕著です。だからきっと、今僕は僕というくだらない歴史の中で一番頭が悪くなってるんだと思います。

でもなんとも気持ち悪いのが僕のダメなところで、こんな何も考えられない肉塊になってなお何かを残したいという気持ちが強いです。気持ち悪いですね。

今僕にできる創作といえば音楽を作ること(といっても稚拙なものですし他人からの評価が怖くて自分が作ったものが凡百だと知りたくないのでアップロードもしたことがありません。創作といえるかも危ういですよね)、それとせいぜい得意だった国語の力の搾りかすでこうやって文を書くくらいです。

そう思ってこのブログを書き始めようと思います。

誰に宛てるでもないのに敬体で書いているあたりも回りくどい承認欲求が見られますし、さっきから繰り返してる自虐にもゆがんだセルフ・ハンディキャッピングが見られます。こうやって俯瞰視を繰り返しているうちに自分が何をしたいのか、どう生きたいのかすらもわからなくなってしまいました。

正直、自分の人生を歩んでいる気分がしません。

進路決定の際に自分の意にそぐわないままここまでだらだら生きてしまったというのも少なからずあると思いますが、きっと僕自身にも問題があるのでしょう。

僕も馬鹿じゃないのでそれくらいはわかります。

どうやったら自分の生きたいように生きられるのか。自分が生きてると思えるのか。まだわかりません。

どうやったらみんなが(ここでいうみんなとは僕の周囲のみんなのことです。全世界、あるいは全日本のことを考えろというコレクトネスは正直独りよがりで気分の悪いものと思います)もってる、普通の幸せを受け取れるのかわかりません。みんなが持ってる普通がわかりません。僕は普通がほしいのに。

明日になったら、幸せになっていますように。

いつもとは言いませんが、時たまそういうことを考えながら寝支度をする夜があります。