青年と走る鉄塊は交差して
虚無という言葉で片づけるにはあまりに軽すぎる孤独です。
恋人もいるし家族との仲も僕が一方的に変な思いを抱いているだけで悪くはありません。
昔の僕が今の僕を見たら何を甘ったれたことを言ってるんだとののしると思います。
まあ甘ったれは生来のものなのでかつての僕も何も言えないと思うんですけど。
きっと二つに一つです。僕が今抱えてる悲しさが本物で、浪人も終えて恋人もいて、そんな中にあってもまだ血のしみのごとく消えないものだったのか。あるいは孤独なふりをしてそんな自分に酔ってる、一番たちの悪いやつか。
そんなことを考えることもできません。小さなころは本もたくさん読んだしお話もたくさん見ました。絵をたくさん描きました。自分で物語を考えたり、音楽を作ってみたりしようとしたこともあります。中学、浪人なんかは特に顕著です。だからきっと、今僕は僕というくだらない歴史の中で一番頭が悪くなってるんだと思います。
でもなんとも気持ち悪いのが僕のダメなところで、こんな何も考えられない肉塊になってなお何かを残したいという気持ちが強いです。気持ち悪いですね。
今僕にできる創作といえば音楽を作ること(といっても稚拙なものですし他人からの評価が怖くて自分が作ったものが凡百だと知りたくないのでアップロードもしたことがありません。創作といえるかも危ういですよね)、それとせいぜい得意だった国語の力の搾りかすでこうやって文を書くくらいです。
そう思ってこのブログを書き始めようと思います。
誰に宛てるでもないのに敬体で書いているあたりも回りくどい承認欲求が見られますし、さっきから繰り返してる自虐にもゆがんだセルフ・ハンディキャッピングが見られます。こうやって俯瞰視を繰り返しているうちに自分が何をしたいのか、どう生きたいのかすらもわからなくなってしまいました。
正直、自分の人生を歩んでいる気分がしません。
進路決定の際に自分の意にそぐわないままここまでだらだら生きてしまったというのも少なからずあると思いますが、きっと僕自身にも問題があるのでしょう。
僕も馬鹿じゃないのでそれくらいはわかります。
どうやったら自分の生きたいように生きられるのか。自分が生きてると思えるのか。まだわかりません。
どうやったらみんなが(ここでいうみんなとは僕の周囲のみんなのことです。全世界、あるいは全日本のことを考えろというコレクトネスは正直独りよがりで気分の悪いものと思います)もってる、普通の幸せを受け取れるのかわかりません。みんなが持ってる普通がわかりません。僕は普通がほしいのに。
明日になったら、幸せになっていますように。
いつもとは言いませんが、時たまそういうことを考えながら寝支度をする夜があります。